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海外ツアー豆知識 アーカイブ

こんにちは。


今日からブログを始めます。


週2回くらい何か書ければいいなと思っています。


わたしの趣味は海外旅行なので、海外に行くならどこそこの国がおすすめですなどといった個人的なことを書いていきたいと思っています。


全然関係ないことも書くかもしれません(笑)。


どうぞよろしくお願いします!


さて、まずは食事の話からしたいと思います。


みなさんはアフガニスタンで作られる「ゴーリィ」というバターをご存知でしょうか。


バター・ミルクはそのままで飲用されることもありますが、大抵これを加熱して固まってくる凝乳(カード)という固型分をのこりの液体分である乳漿から分離します。


凝乳には塩を加えて手で適当な大きさに整形して、大気ちゅうで乾燥させます。


こうして、カチカチに乾燥した塩辛い一種のチーズ「クルット」ができます。


ヒツジ遊牧民の夏の牧地のテントの前には、「クルット」を干すための棚が設けられているのをみることができます。


牧夫が夜遅くまでヒツジを追っているときには、外套に忍ばせた「クルット」をかじっています。


海外旅行の楽しみは・・・


冬になってミルクが手にはいらなくなると、これを砕いて粉末にして湯に溶かしてスープにして、「ナン」を浸して食べます。


牧民の冬の食卓の重要な一皿です。


この羊乳加工の過程はパシュトゥン遊牧民だけではなく、西南アジアのヒツジ遊牧民に一般的にみられるもっともふつうのものです。


移動生活の邪魔にならない最低限の器具をもちいて、ミルクの欠乏するときに利用可能な乳製品を製造せねばならないという遊牧民の側の要請に、よく適合した加工方法であるといえます。


このほかにも、いくつかの補助的な加工の様式があります。


まず、「クルット」をとった残りの乳漿「ハルビン」を煮立てて、もう一度濾過して・・・


やはり「クルット」によく似た乳漿チーズ「カラ・クルット」をつくる工程があります。


また、これとまったくべつに、チーズを製造するための工程が二系列存在します。


海外旅行の楽しみのひとつといえば、こうした食事ですよね!

都市のバザールへ行こう


ひとつは、ミルク(このミルク加工ちゅうにえられる乳漿を、生乳の10分の1量加えてあります)を沸点近くまで煮て・・・


凝固がはじまるとそれをすくいとって集めて圧搾するという方式で、チーズ「ヘイダク」がつくられます。


残った乳漿は、つぎに加工される生乳の10分の1量だけは原料としてもとに戻されますが、ほかは授乳ちゅうの雌ヒツジに与えられます。


もう1種類のチーズ「ポッツェ」は、ミルクにレンネットを加えて、固まってきたカゼインを布で濾してつくられます。


レンネットは仔ヒツジの胃の内膜で、レンニンという酵素を含み、これが乳の蛋白質であるカゼインを凝固させるのです。


この「ポッツェ」チーズの表面を、塩をつけたナイフで削っておくと、より長期の保存に耐えるとされています。


これらのチーズは一種の贅沢品で、遊牧民は自家消費するよりも、都市のバザールで仲買商人に販売することがおおいようです。


ほかに仔ヒツジが生まれてから第1、2日目にえられる初乳「カンド」が乾燥保存されることがあります。


これをミルクに加えたものは「ヴルガ」とよばれ、白飯といっしょに調理されます。


海外ツアーでこの辺りの国を訪れるのもいいかもしれませんね。


世界の食文化


一種のミルク御飯は、上から大量の砂糖をふりかけて宴席に供されます。


ヒツジ遊牧民の最高の歓待の料理です。


「ダシュト」に生きるパシュトゥン遊牧民は、乳製品の加工についてはかなり洗練された技術をもつとはいえ・・・


最高の品質のチーズなどはおおくの場合換金されて、やがてバザールで売られることになって、かれら自身では消費されません。


その結果として、かれらの食生活はかなり単調な、コムギのパンと茶と乳製品を中心とするものになっているといえます。


「ダシュト」から眺めるとき、食物の多彩さという点だけでも、都市は圧倒的に魅力あふれるものとなります。


そして、この対照的なちがいは、食の文化だけではなく、ほかのおおくの領域においても顕著にみられます。


この都市と都市の外とのきわだった対照性は、アフガニスタンを含むイラン文化圏のひとつの重要な特色ですが・・・


その歴史的な由来についても、その文化的社会的な意味や機能についても、まだ充分な説明をすることができない今後の課題です。


こうしたことを肌で知るためにも、海外旅行というものは素晴らしい機会だと思います。


コーヒーと紅茶を楽しめる国


こんにちは。


海外に行くなら、まずおすすめしたいのがトルコですね。


世界遺産も多いですし、アジアとヨーロッパが交差する国として、その文化は興味深いものがあります。


それにご飯もコーヒーも美味しいのでおすすめです!


トルコ・コーヒーの特徴は、煎ったコーヒー豆をひいて微粉状にしたものを水から煮だしていく点にあります。


煮沸しないであわ立ちをよくするように気をつけ、そのままカップにうつし、うわずみをすするように飲みます。


砂糖は「甘い」、「中ぐらいに甘い」、「少し甘い」、「砂糖なし」の4段階で、客の好みを聞いてからコーヒーの粉と一緒にたててくれます。


この方式はコーヒーが移入した当時のヨーロッパでも同じでした。


そしてコーヒー店は16世紀になってから、イスタンブールで初めて開かれています。


つまりアフリカ産で、アラブ地域で飲用されていたコーヒーは、オスマン・トルコを経由してヨーロッパ諸国に普及したのです。


トルコ人にとってのコーヒー・紅茶は、一般的には客をもてなすもので、なかでもコーヒーの価値は高いのです。


また紅茶が村のレベルで普及しだしたのは第二次世界大戦後のことで、それは砂糖の普及とパラレルな関係にあります。

面白い人面の土器


ニューギニアのセピック川流域で、サゴヤシ澱粉を貯蔵するために使われる人面土器。


河川沿いや湿地帯で生育するサゴヤシは、マレー半島、インドネシア、メラネシア、ニューギニアなどで主要な食料を提供しています。


サゴヤシの髄の部分を、取り出して砕いた後、水でもみ洗いして沈殿させると澱粉が取れます。


このサゴヤシ澱粉を土器の中に入れ、首の部分まで水を張って沈殿した澱粉が空気に直接触れないようにしておくと、何ヶ月もサゴヤシ澱粉を保存しておくことが出来ます。


ニューギニアでは土器は低地でつくられ、山地パプア諸族は製造技術を持ちません。


土器は素焼きで、天日で乾燥させた後、薪やヤシ殻、枯れ草などの燃料とともに野焼きして仕上げます。


焼きあがった後に顔料で彩色しています。


この辺りを海外旅行で訪れるのなら、ぜひ見ておいたほうがいい文化ですね。


原始美術の宝庫!


ニューギニアのセピック川流域は原始美術の宝庫と呼ばれています。


祖霊・精霊崇拝と関連して、芸術的にすぐれた仮面や神像などをつくりだしました。


鉤もまたこの地方の代表的な彫刻品です。


表現主義的な誇張された形態や色彩に特徴があります。


形状や上部の彫刻のモチーフによって異なるのですが、基本的な用途は男子集会所や住宅につるし、フックの部分に編み袋に入れた食物をかけることに使われました。


ハエや虫などから食物を守るためです。


鉤の中には、儀礼のおりに、祖霊へのそなえものとしてニワトリの肉や死者の人骨をつるすことに使われたものもあります。


したがって、彫刻のモチーフには、狩猟の吉兆を告げる豊饒の精霊などが使われたりします。


さらに、つるされた食物などを盗む人があれば、彫刻のモリーフの精霊などが危害を加えるといいます。


いわば泥棒よけの役割を果たしているのです。


ニューギニアに海外ツアーなどで訪れたことがある方は、このような文化をきっとご存知なのではないでしょうか。


モンゴルに行きたい!


馬が颯爽と駆け抜ける広い草原。


どこまでも広がる青い空・・・


そんな連想を抱かせてくれるモンゴルは、海外旅行先としても人気が高いですね。


今日はそんなモンゴルの話です。


馬乳酒は、中央アジア一帯の牧畜民に広く見られる酒です。


牧畜民にとっての食生活は、家畜の肉よりも、その乳の利用におうところが大きいのです。


そのために乳製品のすぐれた加工技術が発達し、種類もバラエティーに富んでいます。


その一例である馬乳酒は『漢書』にも記され、古くから飲用されていたことを物語っています。


製造法は地域によって差異はありますが、夏期のウマの乳が豊富なときに、ウシの皮でつくった袋に入れ、酵母を加えて攪拌棒でよくかき混ぜるというのが一般的です。


大体2~3日で出来上がります。


この馬乳酒のアルコール濃度は、せいぜい3%程度だといわれています。


一方で、この馬乳酒を蒸留させてつくるアルヒも愛飲されています。


フランスでブドウ酒を飲もう!


ブドウ酒づくりの起源は明確ではありませんが、おそらく青銅器時代に西アジアではじまっただろうと言われています。


そこから伝わったエジプトでも、紀元前2500年ころの象形文字に、ブドウ酒のつくり方が記録されているように、ずいぶん古い歴史を持っています。


ブドウ酒は、原理的には収穫したブドウをつぶして放置すれば出来上がります。


果実の表面に酵母が付着しているからです。


現在では有害菌が混入するので、いったん殺菌して、あらたに培養酵母を加えて発酵させているそうです。


そしてフランス人がブドウ酒を人格化して、味のことを"性格"と呼ぶように、気候・土壌・技術によって、さまざまな品質のものが、いとおしまれながら誕生するのです。


海外に行くならフランスがおすすめ。


ブドウ酒好きにはたまらない国ですよ!

インドネシアでココナツ・ミルク


およそ、ココヤシの植生があるところでは、必ずといっていいほどココナツ・ミルクは、調味料として重要な役割を果たしています。


完熟した実を割ると脂肪分が殻の内壁に厚く付着しています。


これを取り出して乾燥させたものがコプラで、乾燥させずに粒状に削り取ったものが調味料の材料となります。


水を加えて煮て、そのうわずみを集めてカスを取り去ると、調味料の出来上がり。


白くてとろっとした外見から、ココナツ・ミルクと呼ばれるものです。


やわらかい舌触りと、ほのかな甘みに特徴があります。


海外旅行先として一番人気の高い南の島では、こうしたココナツ・ミルクがよく飲まれていますね。


タロイモ・パンノキの実、魚、野菜など、あらゆる食物の調味料として使われています。


インドではカレー料理にも使われ、これをベースにして炊いたご飯は神への供物にもされます。


道具の先端の削る部分には金属器が使われているのですが、オセアニアなど金属器の伝播が遅かったところでは、珊瑚片やココヤシの殻などが利用されていました。


この道具にまたがった女性の手もとからゴリ、ゴリと削る音が響き渡るのは、熱帯地方の風物詩です。

イギリスでのティー・タイム


海外ツアー先として人気の高いイギリス。


このイギリスでは、1日2回のお茶の時間が国民すべての生活を規制しています。


ヨーロッパの国ぐにのなかで、なぜこの国だけが、茶を飲むようになったのでしょうか?


ロンドンの西のはずれの、ある大きな電気掃除機の工場を見学したときのこと、午後3時のティー・タイムを知らせるベルが、ジーッと鳴りました。


流れ作業の持ち場で仕事をしていた作業員は、いっせいに手を休めました。


もうほんの十数秒も仕事をつづけたら、ひと区切りつくと思われるのに、ピタリと仕事をやめたのには驚きました。


ベルとともに、ティーを積んだワゴンが何台か、いっせいに出動して、工場の片隅に何ヵ所か臨時のティー屋台ができました。


待ちかねたようにティーに集まる人たち・・・。


その顔にたちまち生気がよみ返りました。


「どんないやしい家庭の中にあっても、お茶の時間だけはなにか神聖なものをもっています。」


・・・ある人がこう語りました。

ティー・タイムに拘束される人々


「お茶の時間だけはなにか神聖なものをもっている。


それは家庭のいろんな仕事と心労が一段落をつげたことを示し、落ちついた団らんの夕べが始まったことを示している。


茶わんや皿がふれあう音を聞いただけでも、わたしたちの心はぬくぬくと満ちたりた気持ちになる」


・・・・と、ジョージ・ギッシングは『ヘンリ・ライクロフトの私記』のなかでこう書いています。


ティー・タイムの習慣のないわたしたちには、イギリスへきた当座は、アフタヌーン・ティーにはなにかしら異和感がありました。


しかし海外旅行で長くイギリスに滞在していると、ティー・タイムが近づくとやたらに喉が渇き、いらいらしてくるから不思議です。


イギリスでは午前11時のティー・ブレーク、12時半から2時の昼食、午後3時(または4時)のアフタヌーン・ティーと、ティーが職場の作業リズムを規定しています。


それに規定されて、体も1日に何回も周期的にティーを欲するようになります。


そして、ティーを飲んだあとの心の安らぎ、打ちとけた仲間と飲む幸福感・・・。


たしかにティーは、イギリスの上流階級から労働者にいたるまで、国民すべての生活を規制しています。


ヨーロッパ史を変えた東洋の茶


イギリス・・・


いえヨーロッパには元来、茶はなかったのです。


いまでも茶の木は育ちません。


16世紀なかごろ、ヨーロッパ人がアジアへ来航して、かれらははじめて中国、および日本でチャという飲みものを発見しました。


チャがたんなる飲みものであったならば、それほどヨーロッパ人の関心を誘わなかったでしょう。


チャがヨーロッパ人をいたく感動させ、かれらを魅了したのは、とくに日本の茶の湯文化でした。


かれらが来航した16世紀後半といえば、日本の茶道が千利休によって大成され、茶事が全盛をきわめていた時代です。


イエズス会の宣教師のおおくは、かれらの接する町人や武家支配階級がチャと茶の道具、茶会に最高の価値を見出していたことに、強い好奇心を寄せていました。


かれらからみれば、ろくでもないふるい釜や壺、ひん曲がった茶碗に、どうして日本人は万金を投じるのか。


一服のチャを飲むのに、どうして茶のたてかた、道具だて、飲みかたにいたるまで、いちいちむずかしい作法や儀礼を必要とするのか・・・。


茶の湯にまつわる、こうした一種の宗教的神秘的な儀礼が、チャに対するかれらの好奇心をいっそうかきたてたのです。


彼らは今でも、海外に行くなら日本がいいと言っているくらいお茶の文化に興味を示しているのです。


イギリスとお茶の文化


好奇心が、やがて東洋の茶の文化に対する畏敬と憧憬に変わっていきます。


その意味で、わたしは、ヨーロッパの近代史のひとつの出発点になったのが、東洋の茶の文化ではなかったか、と考えています。


「中国人も幾世紀の長きにわたってずいぶんお茶を飲んだかもしれないが、果たして彼らが、過去百年間にイギリス人がお茶から味わった喜びや楽しみの百万分の一でも、そのお茶からくみ取ることができたであろうか」(ギッシング前掲書)。


・・・このようにイギリス人をいわしめたほど、ヨーロッパのなかで、とくに東洋の茶の文化にいかれたのがイギリスでした。


イギリスがチャをくすりとして飲みはじめたのが17世紀なかごろ、やがてこれをリファインし、イギリス独自の茶の文化として仕立てあげました。


・・・つまり、かれらはチャのなかでも紅茶を選択し、それにミルクと砂糖を入れて飲むという独自の飲みかたを開発したのです。


では、海外旅行先として人気の高いヨーロッパのなかでも、どうしてイギリスにおいて、茶が国民的飲料として急速に普及したのでしょうか。


・・・そもそも茶がポピュラーな国民飲料になる以前のイギリスに、どんな飲みものがあったかといえば、水と自家製のエールしかなかったのです。


海外ツアーに参加するなら・・・


昔のイギリスにはワインもないわけではなかったのですが、それは高価な輸入品で、庶民には手の届かない飲みものでした。


またリンゴからつくるサイダーもありましたが、これもまた日常の飲みものではなかったのです。


ともかくイギリスは、フランスその他ヨーロッパ諸国とくらべると、水が良かった以外は、飲みものがもっとも貧弱な国であった、といってよいでしょう。


ですから海外ツアー先として人気の高いフランス、イタリア、スペインといった地中海のワイン文化圏や、ドイツのようなビール文化圏では、中国茶はほとんど割りこむ余地がなかったのに、伝統的飲料がもっとも貧弱であったイギリスに茶がはいってきやすかったといえるでしょう。


・・・といっても、18世紀はじめのイギリスには、茶、コーヒー、ココアの3つの舶来飲料が互いに競合していたのに・・・


どうして茶が他をおさえて優位を占めるにいたったのでしょうか?


それはひと口でいえば、イギリスはココアとコーヒーの栽培と貿易において、フランス、オランダに主導権を奪われたからです。


ひとりイギリスは、中国茶貿易において他国をおさえて、勝利を占めることができたわけです。


海外旅行で何を楽しむか


イギリス国内の3つの飲料の価格に反映し、18世紀はじめには、まずココアがコーヒーや茶の価格の2倍という高価なために飲料として脱落・・・


ついでコーヒーも1730年代から茶との価格が大きく開きはじめ、茶との競争に敗れてゆきます。


こうして18世紀なかごろ以降、ひとり茶の消費が増加してゆくのです。


・・・ところで、東洋では茶に砂糖を入れないのに、どうしてイギリス人は砂糖を入れて飲むようになったのでしょうか。


イギリス人が茶を飲みはじめたとき、はじめから砂糖とミルクを同時に入れたのか・・・


それとも砂糖とミルクがべつべつにはいるようになったのか、は明確ではありません。


これは、よくイギリスに海外旅行で訪れるわたしにもよくわかりません。


しかし、すくなくとも18世紀はじめには、砂糖とミルクが紅茶についていたことは確かです。


茶にミルクを入れて飲む方法は、べつにイギリス人が開発した独特の飲みかたとはいえないのですが、紅茶に砂糖を入れる飲みかたは、イギリスやヨーロッパ独特の飲みかたです。


いったいに中世ヨーロッパは、甘味料の大部分をハチミツとブドウ液に頼っていました。

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